夢に見た愛は望んだものとは違っていた。 追いかけた愛は自分の望みを満たさない。 夜の帳の中で彼は問う。 ――君の愛を僕に見せてくれ、と。 夜の帳の中で彼は知る。 ――自分の愛は、ただ、彼女を騙す自己満足だったと。 夜は更け、後に残ったのは縺れた身体と、壊れた愛の幻想。 ―――― fake / False-Love-Affair (false love or false affair) ◇ 「遅いなあ……」 PLOのアニバーサリーライブ当日、午後一時十五分。会場十五分前だというのに、私は未だに一咲を見ていなかった。昨日の夜から泊まりがけで場所をとってやるもんねー、なんて言っていた一咲だったけれど、寝袋どころか思いつくところをくまなく探しても、誰かが野宿――寝泊りした形跡は見つからなかった。 待ち合わせ場所として一咲が指定してきたのは、シルフズガーデン入ってすぐにある、妖精の踊りをかたどった(フェアリィダンス、などと名前が付いている)噴水前。絶対に見逃さない場所にあるので、待ち合わせポイントとしてはぶっちぎりの一番人気だ。 密度もやたらと濃い。しかもそのほとんどが男女のカップル。……泣かないぞ。負けるもんか。別に私は女の子しか好きになれないとかそんな特別な趣味は持ってないし、いつか誰かを見つけられると思っているけれど。 撒き散らされる水が噴水の石像を叩き、空気を爽やかに冷やしていく。夏の日差しにはちょうどいいくらいの涼しさだった。 今日の私の格好は、ベージュ色の綿パンに薄紫と黒のキャミソールを重ね着した上で白いボレロを羽織った、ちょっとしたお出かけスタイル。あんたのファッションセンスがよくわからない、というのは女子のクラスメイト全員からよく言われることだけど、これが気に入っているので変えられない。靴は白めのスニーカー。……実は、これしか持ってない。 待っているうちに、あっという間に十五分が経つ。 いくらなんでもおかしかった。 一咲の性格からして、いくらPLOの方が私より大切だったとしても、彼女は自分から言い出した約束は絶対に破らない。開場直前にはサイン会なんてなかったはずだし、来ないということが考えにくい。 人の流れが、一気にライブステージ入口に向く。濁流に近かった。歩き回っていた人々が全員会場に入ろうとして、入口の整理員もかなりテンパっているらしかった。 人がどんどん少なくなって、私に快適な空間ができてくる。ビッグイベント直前の熱気はともかく、人ごみが苦手な私にとっては閑散とした、しかも噴水の手前というのは涼しくて最高な場所だ。 (それにしても、一咲はどうしたのかな……) 考え事をしながら、噴水の石像に目を向ける。たおやかな曲線を描く妖精――もちろん風の妖精シルフであり、間違ってもドワーフではない――が風を模したと思われる水しぶきを浴びて輝いている。 冷たい雫が、絶えず肌を滑り落ちていく。 まるで――いや、違う――幻想を鏡映しにしたような絵だった。 もう一度、一咲が何をしているのかと考えようとして、後ろから肩を叩かれた。 「――――」 一咲なら絶対にしないことだった。 右肘を曲げ、振り向きつつ後ろから私に触れたそいつに全力で肘を打ち込む。まともに当たれば大の男でも動きを数瞬止める自信のある一撃は、あっさりと流された。 「いきなり肘打ちはひどくないですか、先輩」 日阪暁嗣だった。 「後ろから私に触らないことね、日阪君。……それになんでここにいるのよ」 「そりゃ、こんなビッグイベントは一生に一度あるかどうかですからね。家に閉じこもってカタカタとプログラミングし続けるってのもなかなかイタいと思うんですけど」 彼の趣味はまずプログラミング、次に読書。休日は普段一日中部屋にこもりっぱなしらしいから、こういうイベントにも出てこないと勝手に思っていた。それがまさか、お祭り好きだったとは。 「……で、先輩はなんでここに来たんですか? 人ごみは嫌いなんじゃ」 「誘われたのよ。断れなかったし……でもまあ、その誘った本人が泊まりがけで順番待ちしてたはずなのに、いないのよね」 「ケータイで連絡は?」 「……わすれてた」 日阪に注意されるまで忘れているとは、私も相当鈍いと思った。 アドレス帳から一咲の電話番号を選び、かけてみる。 呼び出し音が重なる。十回、二十回、三十回…… 「だめ、出ない」 もう一回試す。 三分ほど呼び出してみたが、一向に出る気配はない。留守電にもなっていなかったし、電源を切っているわけでもなかったし、シルフズガーデンは電波が(あらゆる意味で)飛び交っている場所だ。幽霊と混信することはないとしても、届かないということはありえない。 「いないみたいですね」 「おかしいなあ……」 開演まであと二十分。仕方ない。 「私はもう行くわよ。キミはどうする?」 「僕も行きますよ。割高な当日券買ったんだ、コスト分は元を取らないと」 肩を並べると、背丈は日阪のほうが少しだけ高かった。 勘違いされるかもしれないのは不本意だけど、今は日阪で十分だと思った。 ――それにしても、一咲はどうしたんだろう? † 『それじゃあ、一曲目! 「ユニヴェール」から!』 PLOのヴォーカル、桜庭がそんなことを叫んだ。二時開演になってからはそこまで時間をとらずに演奏に入るらしい。あいさつは後からやるつもりなんだろうか。 特徴的なドラムパターンで始まる曲だ。私たちはステージを囲む席の最上段に立っていたが、ドラマー鷲見がスティックを繊細に指先でコントロールしているのが見て取れた。ライブステージはまるでコロセウムのように、中央のステージを囲むように階段状の段が設置されている。 ちなみに、私が一番好きな曲も「ユニヴェール」だ。フランス語で世界だか宇宙だかを意味する言葉だったと思う。最大の理由はドラムが輝いている曲だから、だけれど。 ギターの音が絡み合い、ベース音が土台を押し上げる。ドラムが土台を安定させ、キーボードでデコレーションする。がっちりと支えられた音楽の上に、歌が載って楽曲が完成する。PLOは、そんなバンドだった。 ――お前は世界の中心じゃないよってもう知ってるはずだろ? オマエは宇宙でたった一つの輝いてる星なんだよ。 歌詞の内容はともかく、全体で拾い上げたらこんなイメージの曲だと思っている。らしくない人間賛歌。 さほど長い曲ではないので、すぐに終わった。惜しいのは、他の曲は大してドラムが目立たないということ。でも、それは音が高いレベルで調和しているということだから、鷲見の腕前が分かるものだとも思う。 しかし、何人のファンが集まったのだろう。千はいるはずだ。一曲しか聴いていないのに、人酔いでめまいがしてきた。 「あ……ごめん、ちょっと外の空気吸ってくる……」 後輩の前で情けない、とは感じている。けれど体質というのは簡単には変えられないので、仕方ないかな、とも。 日阪は演奏に夢中になっているらしかった。私が声をかけても、気付いていない。 まろび出るように、ステージを後にする。 噴水で冷えた空気が、私の火照った体を癒してくれる。 すぐに戻る気にはなれなかった。外はあまりに快適すぎる。 「あー、……やっぱ人ごみは苦手」 頭が冷えてきて、さっきの演奏を思い返す。 CDで聞くのとは全然違う臨場感。不覚にも感動してしまった。言葉にはできない充足と、迫力。 もうユニヴェールだけ聞けたからいいか。 そう思ったとき、妙に熱っぽい視線を感じた。 「……」 噴水を背に、ライブステージ入口を見つめる。誰も、いるわけがない。それでも熱っぽい視線は消えていない。 気のせいでは、ない。 「……」 噴水の向こう。 黒い服を着た男が立っていた。 やや小太り――いや、やや、ではない。 黒い服は長袖で、両肘上のあたりから手首の真上までを銀色の細いチェーンでゆるく縛っている。革のベルトがチェーンの先に繋がれ、手首を縛っていた。 髪はまつげのすぐ上まで伸びて額を全て隠し、陰気な印象以外は与えない。 背は高いとは言えず、私と日阪の間ぐらい。 年齢は、おそらく私と同じか一つ下。 目がぎらぎらとしていて、覗き込んだ瞬間にぞくりとした。 「……あんただったか」 声に聞き覚えはあった。ただ、それが誰のものか分からない。 少年は、私を見ると歩み寄ってくる。 「昨日のことは忘れちゃいない。……邪魔はするな」 「いきなり何を――」電波? それ以上何も言わずに、少年はステージへと進んでいく。 ドアに手をかけ、立ち止まり。 振り返って、私をそのぎらついた目で見た。 「触れたものをバラバラにする……あんた、何者だよ?」 どくん、という鼓動が嫌に大きく感じた。 こいつは、私のことを知っている――? 体も肝も十分に冷えたところで、私はまたライブステージへと戻った。 |
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