ライブ開始から一時間半が経過。たしか予定時間は三時間だったはずだから、半分ぐらい終わったことになる。 『次ぃー! ここで一発、新曲行きます!!』 唐突に、ギターのAコードが一閃。 『「ラグナロク・オーディール」!!』 一咲が、そんなタイトルを一昨日口にしてたっけ。 Aコードを主軸にした曲らしかった。ただ、ドラムが動く動く。かなり激しいロックナンバーだと思った。久々のドラムが目立つ曲だと期待して、ステージの鷲見を一目見ようと少しだけ背伸びする。……私は女子にしては背が少し高い方だったけれど、外で休んでいた間にステージ前が黒髪の海になっている。まるで人が潮のよう。 強烈にブーストされたベース音が聞こえる。《 》――え? ベース音に紛れて、何かの音が混じった。明らかに楽器の音ではない。《 》――おかしい。スピーカーが壊れたんだろうか。だけど、壊れかけた音響機器は使わないだろうし、屋外ライブに使うスピーカーやアンプは、それなりに頑丈なはずだ。使い込みすぎのオーバーワークで機器の配線が切れていたら大問題だし。《 》――何なのかが聞き取れない。 ドラムの激しいフィルイン。けれどその裏で、聞きなれないノイズが耳を離れない。 ヴォーカルが入り始める。その裏でもノイズ。 サビの盛り上がりにもノイズ。 インタールード、二番の歌詞、次のメロディ。 ノイズ、ノイズ、ノイズ、ノイズ。 落ち着かない。落ち着けない。 辺りを見回す。 ――左手側最寄りのスピーカーの陰に、黒い何かが立っていた。口元だけが定期的に、一つ一つの音だけを発しているみたい。 ――そのタイミングが、ノイズと一致する。 ノイズ。何かの言葉。 偶然だ。パッと見た奴が呟くだけでノイズを作っているなんて。そんな都合のいい冗談があってたまるか。 曲が、終わる。 熱気が、ステージを包み込む。歓声。他の人には、ノイズが聞こえていないのだろうか。あるいは、音声的なサブリミナル効果になっていて、気になっていない? 『次ッ! 「ブルー・ダイアグラム」!!』 この曲、まだ使ってなかったんだ。序盤で使うと思っていた。一咲が一番好きな曲。 そういえば、あの子はどこにいるんだろう。ステージの真下で盛り上がっているのかな。 陰にいる影が、陰影のコントラストに暗く彩られた顔で嗤う。 《―― ドラム音の一発目で、強烈なハウリングが爆発した。等間隔に設置されたスピーカーがライブステージ全体に暴風のように音を乗せ、シルフズガーデンを蹂躙する。 けれど私の耳は、そのハウリングの裏に重ねられた言葉を聞き取っていた。 ばたばた、ばた、た、ばた、と。 観客が、次々に倒れていく。 ハウリングの音にやられた? ……でも、演奏者は歌い続けている。真横にいる日阪は、左手をこめかみに当てていたが立っていた。 「いったい何が……」 疑問を、日阪が口にするよりも早く。 《―― 二回目の爆発。聴覚がかき回され、思わず膝をついた。 ざざざざ、ざざ、ざ、ざざ、と。 倒れていた観客が、同時に立ち上がる。 そして一斉に、私を見た。次に、陰の影を。 気付く。 影の腕にあたりそうな部分が、銀色の何かで光を反射する。 (あの、男――!?) 邪魔はするな。確かに、そう言われた。 思い至ったときには、その腕が振り下ろされる。 瞬間。肉を打つ音が真横で響いた。 日阪の左肩に、観客だった男の拳が突き立っている。 「――――痛っ……」 右腕で男の拳を払い除け、流れで日阪は私の左腕を掴む。 「ったく、どこぞの無双も目じゃねえだろコレ!!」 悪態をつく日阪は珍しいと思ったが、そうは言っていられない。何にせよ観客はパッと見で千人以上、千人斬りで我こそはなんて名乗りを上げる所の話じゃない。 二千以上の眼球が私に視線を送るのを知覚した。 「逃げ切れるの!?」 「やるしかないです」 走り出す。 まずはライブステージから出ることが先決だった。 ダイアグラムを破り捨てるどころじゃない。 これじゃ、命を破り捨てられることすら容易い。 途中で、元観客で現職暴徒の女性が飛び掛かってきた。その目に、自意識というものが見当たらない。瞳孔がやや開き、右腕を振りかざして私の前を走る日阪に襲い掛かる。日阪は左腕で迎撃、女性の右腕が彼の身体に到達する直前でそいつの身体を真っ直ぐに吹き飛ばした。 一瞬、観客の動きが止まる。 前方に光。出口だった。あと二十メートルあるかないか。 日阪が、迷わずに駆け抜けた。手を伸ばそうとしてくる奴らを両手で振り払い、ぶっ飛ばす。私はその後に続き、手を伸ばしてきた奴を私の後ろに無理やり引き出し、後続を断ち切った。 肉を打つ音。真後ろで、私に投げ出された観客の誰かが吹き飛ばされたらしい。 ゲートをくぐると同時に、日阪がドアを勢いよく閉めた。顔面を打ったのか、数人が向こう側でもんどりうって倒れる。 ライブのドアマンが、何事かと首をかしげ、そしてドアに響く無数の打撃音に腰を抜かして逃げ去る。つられるように外で待機していた受付や運営委員もドアマンの後を追う。 私も日阪も、息が上がっていた。 「……なんですか、アレ」 「私に分かるわけないでしょ。とりあえず、あの時腕振った奴が怪しい」 「……やるしかないってことですか」 「まだ自分の身が可愛いのよ、私は。――いや、」 誰だってそうだ。 「私が全力でやったら取り返しがつかないから。日阪君、お願いね」 日阪は大きくため息をついてうつむき、 「――《名前》ですか。あまり使いたくないんですけど」 カラーコンタクトレンズを外す。 黒いイミテーションに隠された、まるでルビーみたいに、燃えるように赤い虹彩が現れる。 そして、告げる。 「―― 私たちは、世界からもう一つの《名前》を与えられた。それは私たちを変質させ、一般人だったとしても“逸般人”にするだけの変化をもたらす。それも、身体的な変化にとどまらず、異常な現象を起こす、一種の超能力というカタチで。 「 紅石色の瞳が、凛、と見開かれる。 彼の《名前》は、実在するプログラミング言語の名を取って、 「 ルビー、と言う。 † 日阪の目が、紅く禍々しくドアを睨む。 ドアが一斉に叩き開かれ、内側から吹き飛んだ。彼我の距離は約五メートル。私たち《名前有り》の、世界に無理矢理強化された身体能力なら一刀一足の間合いよりも狭い距離になるが、普通の人間だったはずの観客たちなら先手は打てない。 それも、意志のない瞳で我先に殴りかかろうと足を引っ張り合っているのだ。こうなってしまえば、アドバンテージは私たちにある。 「―― 日阪の能力は《名前》そのままだ。ルビー――プログラミングによって、現実世界で物体を作り出す。壁、剣、盾、ギロチンから見えない壁まで、そこまで大きくないもので、単純な構造のものならほぼ何でも作ることができる。 日阪の右手が左腰に当てられ、あたかも剣を引き抜くように丸腰の身で腕を動かす。 腰から右手にかけ、唐突に現れた黒い装飾の施された柄が握り締められた。その先から少しずつ、透き通る青い刀身が引き出されていく。 刃渡り、約五十センチ。肘から指先までの長さと同じくらいの両刃剣を、手の内で鋭く回転させる。 「 暴徒と化した観客が、日阪目掛けて飛び掛かる。五人が一列。全員がバラバラのタイミングで拳を振り上げる。日阪は左腰に刀身を伏せ、右手一本で振り抜いた。 刃と拳が交錯する。刃が拳を完全に通り抜ける。傷も血もない。単に、通り抜けただけ。 そして拳が刃に触れた観客たちは、その場で前のめりに崩れ落ちる。呼吸はあるが意識を完全に奪われている。身体にぶつからないように、日阪が数歩下がった。 観客の数は増える一方だ。吹き飛ばされたドアから雪崩れ込んでくる。日阪が五人昏倒させれば十人が襲い掛かり、十人吹き飛ばせば二十人が飛び掛かってくる。 二十人を越えれば、もう普通の人間には対応できない。ゲームの武将ならともかく、だ。 しかし生憎と、日阪は普通ではない《名前有り》。 「 その言葉と同時、本当に刀身が二倍になる。 横一列にしか、あるいは横一列を何行にも繰り返すしかしてこない暴徒相手であれば、応急処置とも言えた。迎撃範囲を広くした反面、武器は扱いにくくなったはずだ。それでも日阪は、黙々と次々襲い掛かる元観客を斬り倒していく。傷はなくても、彼にそうさせているという罪悪感が私の胸を焼く。 日阪は無言。観客も暴徒も無言で飛び掛かる。 あまりの違和に、異常とすら形容できない。 斬り倒す手数が足りなくなれば、剣を長くして対応。そんなことが、いつまでも続くはずはなかった。日阪の能力なら比較的頑丈な壁も作れるはずだが、これだけの人数が敵であれば、ほんの少し維持できるかすらも怪しい。自意識がないということは、おそらく誰かに操られていて、たぶん普段無意識のうちに人体がかけているリミッターも解除されているかもしれないのだから。 鍵付きの鉄の扉すら蹴り開けるだけの力を持つ人間の死力を、世界という無機質で心を持たない存在が、受け止めきれるのか。 そして世界に間借りしている《名前有り》の私たちも、また。 《―― また、ノイズ。スピーカーは死んでいない。 しかし、そのノイズは劇的に状況を変えた。 日阪が斬り倒した人間の大多数が、もぞもぞと芋虫が這うように動きを取り戻す。 万事休すか。 今まで日阪が倒してきた量はおそらく二百を超える。そんな数が起き上がってきたら、おそらく日阪の剣をいくら伸ばしても足りないはずだ。剣に重さがあるかは分からない。けれど、ヒトが振れるものの長さには限界がある。一定以上を振れば、自分が振り回されてしまうのだ。 目を閉じ、精神は凪。 取り返しのないほどに終わりを孕む私の『力』。 それを、開放しなければならなかった。 ここで逃げれば、街全体に被害が出るかもしれない。これだけの人数相手なら、警察に頼んでしまえばよかっただろうとも気付いていた。しかし私たちに通報する暇は与えられなかったし、最初に逃げた運営委員の方々に期待するしかない。 おそらくこれは、《名前有り》の招いたこと。 なれば、身内の不始末は私たちの手で始末をつけるのが一般の世界にとっても、そのことが知られなくていい。私と日阪が暴徒を阻止しようとした理由は、ただそれだけだった。 彼に人を傷つけさせるよりも深い罪悪の決意が心を斬る。 何人を、私は棄てることになるのか。 それでも。 「空は壊れ、海は枯れる」 私は、自分の《名前》を呼び起こす。 声は、震えていた。 「私は奈落。私は終焉。私は永遠」 本当なら、できるだけ呼び出したくはない。 けれど。呼び出すときはいつも。 棄てるという行為を辿る事象と自傷を思う。 「私の《名前》を教えてあげる」 眼を見開いた。 今まで斬り倒してきた観客が全て立ち上がり、日阪を取り囲んでいた。 誰も私を見ていない。 再び、目を閉じる。 「私は――――」 瞬間、断絶。 ざらついた金属の紐が幾重にもぶつかる感触。 自分の脳の真後ろで衝突音がしたことに気がついた。 「お前に、やらせるか……!」 あの男の声だった。 いつ、私の後ろを取った? 声にならない疑問を断ち切るように。 私が完全に振り向くより早く。 私がそいつを視認するよりも速く。 振り向きかけだった私の側頭部に、強烈な打撃音が突き刺さり。 ――――――――暗転。 |
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