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「――全部、私の中にブチ撒けてやる!!」
 私がそう叫ぶのを聞いた。
 私の《名前》を呼び起こす、最後の一節。
 斬、と音を立てて手首を縛っていたロープが目に見えないほど小さく分解される。
 鉄骨と右手が衝突する。一瞬だけ衝撃が全身を駆け抜けた。その鉄骨も、まるで私の右手に吸い込まれるかのように順々と塵(ちり)と化す。
 ――――なるべく使いたくない、私の《名前》だ。
 まるでゴミでも棄てるかのように、物体を私に触れた点から次々原子レベルに分解する力。そして、そのときに必要なエネルギーは完全に無視する。分解は任意。人間に――つまり観客に使わなかった、そして使えなかった理由はこの一点のみ。
 この力は、一般人を確実に殺す。
 右手を、首元に当てた。
「……不要ね」
 呟き、首輪に指を這わせる。ざざざざざ、と音を立てて首輪が見る間もなく崩れ去る。
 不要を処理した後には、何も残らない。
「……何で邪魔するんだよ、あんたは」
 ハーメルンは王に似合わない卑屈さで私に問う。
「今のあなたに、名乗る《名前》なんてないわ」
 私は、意地悪く笑ってみせた。
「――だって、あなたは王なんでしょう?
 私の名前は、王様には似合わない低俗な物よ」
 彼我の距離、約十メートル。
 鉄骨が再び落ちる。三本。全てが私を狙っていた。手で触れさえすれば、残骸は塵芥(じんかい)にすらならない。その内の一本は右手で、もう一本を左手で触れ粉砕、最後の一本は大きく前に踏み込むことで回避する。
「《海に溺れろ》!!」
 ハーメルンが叫ぶ。彼の言葉を私は聴かない。そもそも、あの程度の、欲求をただ言葉で押し付けるような方法で、私たち《名前有り》を支配するなんてできない。
 しかしその言葉と同時、王の意を汲んで、観客たちが私に殺到し始めた。一対千、無双の領域。まともにやりあう気はなかった。だから私は背後から迫る大勢に向き合い、そしてハーメルンには背を向け、床に両膝をつき両手で触れた。
「遅すぎるよ、王様」
 私の手を起点に、工場を断絶させる。床を構成するコンクリートを徹底的に分解し、走り幅跳びでも飛び越えられないほどの大穴で断ち切る。
 背後で風斬り音を聞いた。とっさに頭をかがめると、左肩甲骨の辺りを何か重いものがかすめていった。ハーメルンが着ていた服、その両腕にあったチェーンのうち、右手側がほどかれ、革ベルトのあった先端に大きくはないおもりが取り付けられていた。簡単な流星錘だ。左手にはいつの間にかナイフを持っている。
 観客たちが大穴を飛び越えようとするが、届くはずもない。世界記録もかくやという距離、そして足元は舞い落ちた埃でやや不安定。そして何より、多すぎる数はまるでレミングの集団自殺のようで吐き気がした。
「これでサシかしら、ハーメルン」
 返答は沈黙。ただ、口元でぼそりと何かを呟いた。
 呟いた。――そういえば、《支配完了》とか何とか――
「逃がさん……お前だけは」
 刹那。びしり、と音がした。
 天井が揺れる。足元が動く。
 鉄骨と埃の匂いが地面へと。
「《ぶっ壊れろ》……!!」
 鉄骨が何本も何本も何本も、アイアンメイデンに仕掛けられた残虐な針のように落ちてくる。埃は地面で巻き上げられ視界を塞ぎ、天井からわずかな瓦礫が降り積もる。
 頭を潰されれば終わり。
 眼前を塞いだ一本目の鉄骨を右手で分解し、頭上から降る二本目を左手で粉砕。三本目は床に突き刺さらず横倒しになり、道を塞いだが飛び越えて背後で四本目の墜落を知る。五本目はハーメルンと一咲のいる一点と私を別つように深々と突き刺さり、六、七、八、九と同じように降り注いだ。瓦礫は大粒のまばらな雨のように落ち、からからと笑った。
 十本目は私の真横でコンクリートを徹底的に奥まで抉り、十一本目の狙いは私の顔面だった。ブレーキをかける暇もなく、両手で受け止め塵に返す。十二、十三、十四――延々とハーメルンと私を遠ざけ、私と一咲を別とうとする。
 許せるか。
 頭上に左手をかざし、右手で必要最小限の鉄骨を原子レベルで分解していく。破壊された鉄骨は古びた雄々しい姿すら遺さず、空中で分解すれば即座に乱離、ただのさびた金属粉と化して降り積もれ。
 金属の森にできた細い獣道を駆け抜ける。
 最後の一筋を抜けた。
 直後、腹部に衝撃。ハーメルンの右手に握られたチェーンつきのおもりが、私の鳩尾に直撃していた。他人事のようにそのことを知覚し、そして口元から血が漏れる。
 けれど、立ち止まってはいられない。
 直撃の直後、今まで頭上にかざしていた左手でチェーンを掴み取り、原子分解。
 痛みが全身を駆け抜け脳を直接愛撫する。気が遠くなりそうな感覚に耐え、そして一歩を踏み出した。
 ハーメルンの左手から銀光が翔ける。ナイフを投げたのだ。首を右に軽くかしぐだけでその一撃を回避し、さらに一歩迫る。一歩、踏み込むと同時に胸から痛みが溢れる。
 瞬間、背中を斬られた。背中からでも、髪がばさりと舞い散ったのが分かってしまう。ナイフが鉄骨の森で跳ね返ったのではなく、ナイフにもチェーンがくくりつけられている。
「あ……ああああ!」
 気力で無視した。さらに一歩。背中から命がこぼれていく。
 右手でチェーンを掴み取り、破壊。
 そして孤独な王へと届く。
 痛みの飽和が涙であるなら。
 殺意の飽和に、血の決意を。
 跪き動かない一咲を尻目に、痛みの飽和した身体で私はハーメルンを思い切り蹴りつけた。正面蹴りが胸部に当たり、そいつの身体は壁際まで吹き飛ぶ。吐血はなく、単なる痛みだ。
 加速。
 壁際で踏みとどまったハーメルンに、全力疾走で勢いをつけた、全力の膝蹴りを全体重かけて鳩尾に叩き込む。壁と私の膝でハーメルンの身体をサンドイッチし、膝を戻すと同時、奴の身体が壁からずり落ちる前に右手で首を掴み壁に押し付けた。
「……ッは……」
 もう、血が全身に十分に行き渡ってくれない。
「ははっ……」けれど痛みで、気分は高揚する。
 一度だけ目を閉じ深呼吸して、私はハーメルンの目を見た。
 怯えるよりも、まるで意味が分からないというような眼差し。
「お、れ……は」
「あなたの負けよ、ハーメルン」
 右手に、力を込める。握力も少しずつ抜けてきていて、視界も茫と霞む。
「あなたに、最適なゲームを教えてあげる」
 反応は荒い吐息と、暴れる手足の感触。
「リアルオフライン。
 ――せめて、あなたがもう一度やり直して、愛を知れることを祈っているわ」

 意識が飛ぶ前に。
 私は、最後の力を振り絞り。
 ――ハーメルンの首を掴んだ右手で、その首を――――。








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