その晩。わたしは両親に聞いた。 「ねえ、母さん。わたしがいじめられてるとしたら、どうする?」 「急な質問ね……。サヤをいじめた人たちに適切な処置がなされるまで、先生や学校、教育委員会、PTAに訴えるし、話し合うと思う。場合によっては、もっと強硬手段に出るかもしれない」 「じゃあ、わたしが誰かをいじめているとしたら?」 「張り倒す」 端的に答えたのは、父さんだ。 「いじめは、極端な言いかたをすれば集団生活の中で起きないはずがない、災害みたいなモノでもある。誰だって優越感を感じていたいし、誰かを見下さないとアイデンティティが保てない歪んだ奴だっている。弱い奴にそのしわ寄せが来る……そういうもんじゃないのか。 少なくとも、父さんなら許せない。いじめてる奴は弱い奴によってたかってくるし、いじめられてる奴も自分の心をしっかり持たないといけない。人の心の弱さがいじめを呼ぶし、無くすのは確かに難しいだろうね。 だが、必要なのは呼びかけることじゃないのか? いじめられてる奴の殻を破れるのは、外から見てる奴なんだ」 「長く難しいことを言わないの。サヤも混乱してるでしょ。 ……私なら、本当にいじめたのかどうかを確認するかな。それから……」 「いじめてるにせよ、いじめられてるにせよ、どう思う?」 考えている途中に、わたしは思わず母さんの話の腰を折った。 「……一言では言えないわ。悲しむと思うし、怒ると思う。他にも、きっといろいろな事を思うはずね」 「父さんも同じ意見だな」 わたしは、席を立った。 「じゃあ。 ――わたしが、ただいじめを“見ているだけ”だとしたら?」 答えを聞くのは怖かった。 だから、逃げるように自分の部屋に閉じこもった。 「さっさと席に着く! 静かになさい!」 遅刻寸前だった翌日。茶野先生の声が、SHR直前の教室に響いていた。 プリントを配る。マシロは当たり前のように飛ばされて、そして茶野先生が直接、マシロの机にプリントを持っていった。横目で黒沢の顔を盗むと、彼女はまるで映画の悪役のように憎悪をむき出しにして先生を睨んでいるようだった。 ごほん、という咳払い。若いのにこういう大仰な動作は得意な先生だった。 教室が、水ひとつ震わせない静寂に包まれる。 「皆さんに聞きます。このクラスで、いじめが起きているように思えます。そういう噂は職員の間でも広がっていましたし、信じたくはありませんが、このクラスを見ていると、噂が本当であるという気がするのです。 ――教えて下さい。ホントウのコトを、私はあなたたち、クラスの皆から聞きたいのです」 マシロがついに言ったのか。 まさか、誰かがチクったの……? 教室がざわめく。マシロの体が、一層小さくなっているように見えた。先生を見上げ、小柄な頭を弱々しく振り、そのまま俯いた。 「この中で、いじめに関わったという生徒は手を挙げなさい。隠していても無駄ですよ。――目星は、ついています」 誰も、動かない。黒沢やシキは相変わらず、先生を睨みつけていた。 「仕方ありません。今配ったプリントは白紙です。コレに、あなたたちが知っている事、思っていることを書いてください」 心の中で、凄まじい重さが生じた。顔を上げられず、腕も、指も、まぶたさえも動かせない。 「皆さん、いじめられる人の気持ちになって考えてください。自分の事だと思ってください。嫌でしょう? 辛いでしょう? 嬉しいと思う人、楽しいと思う人はいないと思います。いじめが素晴らしいことだと思う人なんていないでしょう? もし、分かっていてやっているのなら――私は、その人を疑います」 ――それは弾劾。 いじめがあることを分かっていた。分かっていて、わたしは、我関せず、同じ高さからその行為を何も考えずに傍観している――。 結局。 わたしは、配られた 数日が経った。マシロへの仕打ちは表面上エスカレートする事もなく、わたしは『いつものように』過ごしていた。 ベッドの上で、自分のケータイを見つめる。 ――『世間サマの恥だとは思わないの?』 ――『社会の邪魔なんで死んでください』 ――『事を起こすなら早めにしてくれよ』 マシロに送られていたメールの内容を思い返す。まるで人間を人間としてみていないような文字の羅列が、強烈な吐き気を伴ってフラッシュバックしてくる。 マシロはいつだって一人で戦ってきた。誰にも負けないように、誰にも勝てないけれど。陰湿すぎる攻撃に、耐えてきたのだ。 心の重石が、ふっと軽くなる。 プッシュするのは11桁の数列。 数回のコーリングで、繋がる。 『……サヤ?』 「アキ。……わたしも、協力するよ」 恥ずかしくて、すぐに電話を、一方的に切った。 ――いじめられてる奴の殻を破れるのは、外から見てる奴なんだ。 父さんの言葉が思い出される。 傍観者から抜け出そう。マシロを助けよう。 恥ずかしくたっていい。代わりに自分がいじめられてもいい。 大切なのは、『殻を破る』ことなんだ。 もやもやとした感情に終止符を打って、わたしは勉強机に深く座った。 今日の宿題は、経済のノート五ページ分―― 「いけない、学校に忘れた……!」 学校に取りに行かないと。経済のあの宿題は忘れたらとんでもないことになる。 制服に急いで着替え、部屋を飛び出す。 居間にいる父さんに一言、忘れ物を取ってくると告げて夜の道を駆け出した。 夜の道は暗い。わたしの決心を崩しそうなほど透き通っている。 五分、十分と走って到着した学校は、不気味なほどに静かだった。 月の灯は、外から見ても明るい。 透き通る光が、校舎を静かに彩っていた。 昇降口でスリッパに履き替え、誰もいないことを願いつつ忍び足で階段を上る。 ――扉は、開いている。 木製の手すりを掴み、石の階段を上る。 少しずつ、目的の、自分の教室が近付いてくる。 ――月の光が、廊下を撫でた。 教室の扉も開いていた。 一歩、歩く。 一歩、歩く。 一歩、歩く――“ぴちゃり”。 足元で、何かの液体を踏む音がした。 え、と自分の声と思えないわたしの声が響いた。 わたしの机のひとつ横。黒沢の席で、何かが光った。鈍色の光だった。 一歩踏み出し、ぴちゃりという音を聞いて、 そのとき。 月の光が、教室を貫いた。 わたしのソックスを染め上げる紅い何か。 黒沢の机には、誰かが臥せっている。 月の光だけでも分かる、その笑顔は。 どうしようもなく、見間違いようもなく。 佐藤マシロ、彼女の、わたしが憧れた微笑みだ。 膝から崩れ落ちた。 これは夢なのか。違う。 これは現なのか。違う? こんな格好。こんなタイミング。 まるで、わたしが殺したみたいじゃない――。 月の光に照らされ、鈍色の光を放つ剃刀が見つかった。 助けようって、 決めたのに。 ――どうして。 ぐらり、と、血の気を失って真白な体が傾いだ。 幸せそうなやわらかい笑顔。もう届かない。 膝に伝わる温度は限りなく冷たい。――もう、マシロは――。 「……あ、あ……」 現実を理解したわたしの脳が、勝手に動き出す。 「イヤァァァァァ―――――――ッ!!」 |